60代を幸せに生きるためのコツ

がむしゃらに生きて来た人生から一変〜つぶやき日記

穏やかな朝✨

早朝バイト。3時に起きて5時から11時までのホテル朝食バイキングのホール&キッチンの勤務。

4年1ヶ月。

これもシナリオ通りなのか。


何も考えずに沖縄に来た。

のんびり過ごすためではない。

沖縄でバリバリ働いてまだまだ違うジャンルで活動したいと思っていた。


心身メンテナンスの終着駅はオンセラ。


オンセラ施術はもちろん、もう少し体を動かすことを仕事にして行こうかと考え、色々と動いた。


やりたいこと以外に確実に少なくても💰定期的に入ってくる仕事もしないとならない。

スマホで探して20キロ離れたホテルレストラン勤務に決まった。


こんなに長く勤めるとは思わなかったなぁ。


そう言えば、母は昔、父の働く会社の寮の食事を任されていた。

独身寮。日曜朝は私がパンの買い出しに自転車を走らせる。

土曜日の夕食はカレー。

漠然とそれだけ覚えてる。

いつもいつも会社に勤めている独身のお兄さんに可愛がられてた記憶がある。


いとこも歳の離れたお兄さんお姉さん。

特にお兄さんに可愛がってもらってた。


母はその仕事の後は知り合いの近所のスナックで働いてた。昔の地元のスナックのような小さい箱で、お姉さん達がいるような店ではなくカラオケとお酒、つまみを楽しむようなところだった。

私も学生の頃友達とご飯やアイスココアをご馳走になるためちょいちょい行ってた。


記憶は曖昧だー。


母の料理は美味しかった。人に提供するくらいだから一般的評価しても上手だったと思う。


全く違う、似合わない、真逆の、レストラン勤務。あは。何故選んだ?記憶にない。

手っ取り早いと思ったのは事実。だからか。


近所にはリゾートホテルがいくらでもある。

なのに、なんで20キロも離れたホテルだったのか?

プライドかも知れない。

ん?誰に対して? 施術のお客さん達?

確かにレストランで働いてることなど言ったことがない。そう。知られたくなかった。


このレストラン勤務は、本当に本当に助かった。

私達生活の半分はこの勤務のおかげ。


淡々と日々働くには最高にいい場所だった。

感謝、感謝、感謝しかない。

辞めてしまうことに対して、生活の不安は大だけど、民泊やらないとならないので辞めるしかない。

週1でもいいので、、、と、ありがたい言葉もかけてもらったけど、

3時起きしなくていいこと、午前にお日様をいっぱい浴びれること、私に取っては完全に辞める方が嬉しい気持ち大、大、大🙌🙌🙌だったから。


そして、何より、料理も、任されるようになると、細かなことやルールなどにとても神経質になる自分が見えて来て、そんな日々のちっさな感情が自分で自分を評価するようになってきて、

それをどこかで解き放つことをしたかった。


それも体験できた。結果的に訓練大成功。卒業。


あの世の🚪入り口で沖縄に来て学んだことのひとつとして話すことが出来た。