60代を幸せに生きるためのコツ

がむしゃらに生きて来た人生から一変〜つぶやき日記

今から20年以上も前✨

こんな名刺も次から次へと作ってくれる仲間達がいた。

ホームページもプロモーションビデオも、舞台ステージのビデオ撮影も写真撮影も動画編集も音楽編集も、プロデュースも、

その仲間達のおかげでわたしはどんどん楽しい世界を歩くことができた。


振り返らず、止まらず、ただひたすら、

「楽しい」だけを、感覚だけを、身体に伝えていた、そんな日々を過ごしてた。


その人生の最高の喜びであったダンスチームの結成の時に大切な仲間の1人として存在してくれていたYさんが、亡くなったと、

今日連絡が来た。66歳だったらしい。

もう何十年も会っていなかったし、病気の治療を何年もやっていたとか、全く知らなかった。

懐かしい思い出がまた蘇る。

確かYさんと一緒のステージに立ったメンバーの1人は今、沖縄にいる。

どんどんと、繋がっていた人達や場を思い出す。


こういう時間もシナリオ⏳✨


亡くなった人の知らせを聞くと、

「生」や「死」について考える、と、前まではそう思ってたけど、

知り合いの死の知らせを聞かなくてももうたっぷり生きることや死ぬことは肌で空気感で鼻で口で感じてる✨


20歳で結婚した時の旦那、旦那の母、わたしの母、そして父、

特に身内の死を目の前で体験したわたしは

ずーーーーっと、「死」については特に生活そのものの中のひとつ✨


死は悲しいものではない。

その時は号泣、しばらく号泣、何年経っても号泣😭するけど、

なんて言ったらいいんだろう、悲しい、とは違う意識なんだ。


色々な思いは人それぞれ違うだろうけど、

ちょっとの後悔、無償の愛の存在と喪失感、存在していた時のその人の人生、とか、

そうだな、やっぱり、ちょっとでなく沢山の後悔かな😿

それらを考えると泣けてくる。

でも、それだけなのだ。


まだ40代の頃、楽しさいっぱい、ドキドキ💓いっぱい、そんなダンスの仕事の真っ只中、わたしは何を感じてたんだろー、自分の遺影の写真を決めていた。そして、カメラマンに自分の葬式では沢山額に入れて飾ってと、音楽担当してくれてた人には葬儀で流す曲とか、なんかわけわからない言動をとってた。笑


死を予感してた?????


確かに後々知ったことだけど、

どうやらわたしは50歳にはあの世に行ってる人だったらしい。

それ系の人、1人ではなく、何人にも同じことを言われたからそれ系の人達には見えてのかな〜

が、今、61歳!生きていますが😆

一度あの世に行ったかもね。

そんな気もする。


綺麗ごとではなく、わたしは人に喜ばれることを日々淡々とやれる人間でいたい、が、誰でもではない、という事実も受け止める。


頼まれたら極力引き受ける、これは昔からだから変えずに。


笑顔は作ってでもやった方がいい。


感情は抑えなくてもいい。

と、思う。