60代を幸せに生きるためのコツ

がむしゃらに生きて来た人生から一変〜つぶやき日記

修学旅行のお姉さん達

6人2泊は久しぶりだー!

明日一日連れて回るのは私の担当になった😅

旦那はマリンの仕事が入ってしまった。

ありがたい事✨ はい、仕方ない(笑)


このために早朝レストランは辞めたんだから。


ま、目の前のやるはめになったことを淡々とこなすだけ。


中学生の民家体験て、本人達は果たして楽しいのか、と、いつも思う。高校生になったら尚更。

しかも沖縄。平和学習は学校で連れて行くし、マリンスポーツも行う学校もある。


沖縄の民家、家庭のうちなー料理やうちなんちゅーの生活、うちなんちゅーの話、またはそれぞれの家庭での沖縄ならではの文化を教えてもらう。

確かに楽しみにして来る子ども達もいる。

仕方なしに来てる感じの子ども達もいる。

様々だ。


うちは普通の今風の家だし、沖縄料理も特に材料がそれ風、味もそれ風だけど本物の昔ながらのウチナー料理なんて出来ない。

レストランで沖縄のおばちゃんが作っていたのを真似してるだけ。ま、上等だね❗️


貝殻を使ったアクセサリー?置き物?

写真立てフレーム作りはさせてた事があるが、接着剤で拾って来た貝殻を付けるだけ、、、

小学生でもあまり喜ばないかも🤣と思いやめた。


沖縄のお菓子作り?

サーターアンダギーも専用の粉が販売されている。

それをこねて揚げるだけ。


三線も以前は熱心に教えたり(旦那が)していたが今はやらない。興味ありそうな子ども達ならやると言ってる、


そう、以前は喜ばそうと一生懸命にあれやこれややってた。いい子達なら気分あげあげ、無反応な子達なら残念がる、(旦那が)

その頃、こんなことを言った覚えがある。


「いちいちそこに心置かなくてもいいんじゃない?いい子達、ノリのいい子達ならそれはそれでオッケーで、静かな無反応な子達ならそれなりに温かく見守る、つまらなそうだったら早めに部屋に入っていいよと、それはそれで楽だしね」

と。

私達はただニコニコして親切に愛もってみな同じように接する、一人一人をちゃんと見てあげる、やる事をやる。それだけ。

楽しかったか、そうでもなかったとかの感想は子ども達がするだけ。


ミニピン中心の生活🐕

新しいハーネス🐕 今までのは前から引っ張るとすっぽり抜ける危険性があるため旦那が買ったんだが、今度は胴体しっかり覆うためイタグレ用なのでタクには長過ぎてチンチンに当たってしまう💦


こりゃ痛くてダメだろう👎かわいそうに😅


改造するとか言ってるがどうするのか❓


なので今朝の散歩はタクが歩かないため(それゃそうだ)中心💦


今日は2泊でまた修学旅行民泊6人の中学生がやって来る。

また賑やかになるね〜〜

そして私はまた食事の用意やら洗濯、掃除おばさんに徹する٩( 'ω' )و


民泊がない日、早朝のバイトも辞めたので自由で幸せなんだが、旦那も休みが続くと、なんか、なんか、だ😅

ホントにボケる😱😵


今まで休みなくずーーーっと動き回って来たから、その、帳尻合わせならとってもありがたい💕

贅沢言ったらいけないよな。

3時に起きることなく、5時から走り回ることなく、のんびりと時間に追われず過ごせることに無心で感謝だ✨


今夜から2泊3日、タク、また良き仕事してくれるかな。

みんな、タク、タクって可愛がってくれるから、良かったよね😘

みんなの思い出にタクが残る🐕💕

実際にお礼の手紙をもらって、その内容に必ずタクが出て来る。嬉しいことだ☺️


タクが家族になった時、修学旅行は三年間キャンセル真っ只中だったから再開した時にはどうなることやらと思ってたが、全く問題なかった。

逆に私達よりタクに触れることが多いのではないか😅 コミニュケーションのきっかけとしてタクの存在は大きい✨

タク、ありがとう😊



穏やかな朝✨

早朝バイト。3時に起きて5時から11時までのホテル朝食バイキングのホール&キッチンの勤務。

4年1ヶ月。

これもシナリオ通りなのか。


何も考えずに沖縄に来た。

のんびり過ごすためではない。

沖縄でバリバリ働いてまだまだ違うジャンルで活動したいと思っていた。


心身メンテナンスの終着駅はオンセラ。


オンセラ施術はもちろん、もう少し体を動かすことを仕事にして行こうかと考え、色々と動いた。


やりたいこと以外に確実に少なくても💰定期的に入ってくる仕事もしないとならない。

スマホで探して20キロ離れたホテルレストラン勤務に決まった。


こんなに長く勤めるとは思わなかったなぁ。


そう言えば、母は昔、父の働く会社の寮の食事を任されていた。

独身寮。日曜朝は私がパンの買い出しに自転車を走らせる。

土曜日の夕食はカレー。

漠然とそれだけ覚えてる。

いつもいつも会社に勤めている独身のお兄さんに可愛がられてた記憶がある。


いとこも歳の離れたお兄さんお姉さん。

特にお兄さんに可愛がってもらってた。


母はその仕事の後は知り合いの近所のスナックで働いてた。昔の地元のスナックのような小さい箱で、お姉さん達がいるような店ではなくカラオケとお酒、つまみを楽しむようなところだった。

私も学生の頃友達とご飯やアイスココアをご馳走になるためちょいちょい行ってた。


記憶は曖昧だー。


母の料理は美味しかった。人に提供するくらいだから一般的評価しても上手だったと思う。


全く違う、似合わない、真逆の、レストラン勤務。あは。何故選んだ?記憶にない。

手っ取り早いと思ったのは事実。だからか。


近所にはリゾートホテルがいくらでもある。

なのに、なんで20キロも離れたホテルだったのか?

プライドかも知れない。

ん?誰に対して? 施術のお客さん達?

確かにレストランで働いてることなど言ったことがない。そう。知られたくなかった。


このレストラン勤務は、本当に本当に助かった。

私達生活の半分はこの勤務のおかげ。


淡々と日々働くには最高にいい場所だった。

感謝、感謝、感謝しかない。

辞めてしまうことに対して、生活の不安は大だけど、民泊やらないとならないので辞めるしかない。

週1でもいいので、、、と、ありがたい言葉もかけてもらったけど、

3時起きしなくていいこと、午前にお日様をいっぱい浴びれること、私に取っては完全に辞める方が嬉しい気持ち大、大、大🙌🙌🙌だったから。


そして、何より、料理も、任されるようになると、細かなことやルールなどにとても神経質になる自分が見えて来て、そんな日々のちっさな感情が自分で自分を評価するようになってきて、

それをどこかで解き放つことをしたかった。


それも体験できた。結果的に訓練大成功。卒業。


あの世の🚪入り口で沖縄に来て学んだことのひとつとして話すことが出来た。